「縄文時代=原始人」?
縄文のイメージ、こんな感じじゃなかったですか?
「毛皮を着て洞窟に住み、マンモス(当時日本にいませんが)をウホウホ追いかけている原始人」
実はこれ、ここ20〜30年の発掘調査でガラッと塗り替わっています。今日はその「縄文人」から、生き方のヒントを探ってみましょう。
世界最古級の土器と高度な木造建築技術
大平山元遺跡(青森県)から、なんと約1万6500年前の土器が見つかりました。これはまだ氷河期が終わる前の時代、世界でも最古級です。
土の器はそのままだと水で崩れますが、縄文人は、高温で焼くことで煮炊きもできる器になることを知っていました。かなり早熟な「セラミック技術者」だったわけです。
その後の三内丸山遺跡(青森県、約5900〜4200年前)では、直径1メートルもの巨木で建てられた掘立柱建物などが見つかり、木の基礎部分には腐らないよう周囲を焦がすなどの加工がされていました。また桜町遺跡(富山県)、真脇遺跡(石川県)などから、高度な木組みの技術があったことがわかり建築史を大幅に塗り替えました。釘を使わず木の穴と突起を巧みに組み合わせて、木の癖、乾燥の状態を読み、頑丈な建物を作っていました。
余談ですが、実は現存する世界最古の木造建築トップ10まで、ほぼ日本の建物(1位は法隆寺。1300年以上前のもの)で、地震、台風、火事の多い災害天国なのになぜ?と疑問に思っていたんです。今回縄文からの土台があったことを知り、モヤが少し晴れました(笑)
石を丸く並べただけ、と思ったら大間違い
縄文後期になると、各地に「環状列石(ストーンサークル)」と呼ばれる巨石のモニュメントが作られるようになります。これがまた、ただ石を並べただけではない、とんでもない労作なんです。
• 小牧野遺跡(青森県):直径55m、使われた石はおよそ2,900個、31トン以上。しかも石をただ横に並べるのではなく、石垣のように立体的に積み上げる「小牧野式配列」という独自の技法まで編み出しています。
• 鷲ノ木遺跡(北海道):東に駒ヶ岳があり、立冬の日、この環状列石から山頂に朝日が昇る配置になっています。
• 忍路(おしょろ)環状列石(北海道):使われている石は、9km先から運んだもの。近くの遺跡からは漆製品や木製品もたくさん見つかっており、暮らしぶりの豊かさもうかがえます。
それから、金山巨石群(岐阜県)では地元の研究者グループが長年の観測を通じ「縄文人はうるう年まで把握する精密な暦を持っていたのでは」という驚くような説を提唱しています。巨石の隙間からさす光のパターンで季節を読み取る仕組みがあるというもので、2025年には研究の集大成となる書籍も出版されました。もし本当だとしたら…と、想像が膨らむ話です。
長野から北海道、全国規模の縄文宅配便
黒曜石やヒスイ(翡翠)が遠く離れた土地まで運ばれていた跡もあります。
実は、和とろんの近くには、本州最大規模の黒曜石産地(長野県長和町)があります。現在は黒耀石体験ミュージアムがあり、黒曜石の加工体験もできる面白い施設なのですが、なんとここで採れた黒曜石が、全国各地、遠くは北海道の木古内町(きこないちょう)で発見されています。日常的な交易圏だけでも半径200km前後におよんでいたというので、とても広い「ネットワーク」が築かれていたんですね。
GPSなし、地図なし、黒潮を制した”海の民”
これがまた驚きなのですが、縄文時代が始まるさらに前、約3万8000年前(旧石器時代)の人々が、伊豆半島から神津島(こうづしま)まで、舟をこいで黒曜石を採りに行って、また戻ってきていた痕跡が見つかっています。
「近くの島にちょっと行っただけでしょ?」と思うかもしれませんが、神津島までは50km以上、世界最大・最強クラスのモンスター海流、黒潮を横切っていたのです。しかも一回きりではなく、5000年近くにわたり繰り返されていたことも分かっています。
つまり「たまたま流れ着いた」のではなく、安定した航海技術があり、天候や風を読み解く知識があったと考えられるのです。この発見は「世界最古の往復航海の証拠」として、世界の考古学者たちを驚かせました。
ツヤツヤの漆(うるし)も、実は日本が最古
もう一つ、素晴らしい工芸技術があります。それが漆です。鳥浜貝塚(福井県)から、約1万2600年前のウルシの木片が見つかっており、世界最古とされています。
それまで「漆は中国から伝わった技術」と考えられていましたが、この発見でひっくり返りました。木のDNAを調べたところ、ウルシは日本固有の種類だったのです。
ちなみにウルシの木は、植えてから樹液が採れるまで10年以上かかります。つまり縄文人は、自分の代のためだけでなく子孫たちのためにも、木を育てていたということになります。
しかも漆は、ただ塗ればいいというものではありません。酵素と空気中の酸素がじっくり化学反応を起こしながら硬化して、光沢と耐久性を生み出します。おまけにかぶれを起こす性質もあります(扱う職人さんは今も昔もかぶれと付き合いながら仕事をしています)。つまり縄文人は、化学反応の仕組みも、かぶれとの付き合い方も、経験の中でちゃんと会得していた、ということになります。相当な観察力と技術の蓄積がなければ、とても使いこなせない素材だったはずです。
縄文人は「ただの原始人」ではなく、高度な知恵と技術をあわせもっている人々だったのです。
じゃあ、縄文人の”健康観”はどうだったの?
さて、縄文人は、どんな風に自分の体と付き合っていたのでしょうか。
まず、食べるものは驚くほど多彩でした。
骨に残るコラーゲンを分析する研究(安定同位体分析)によって、縄文人の食生活がかなり詳しく分かってきています。海辺では小魚やエビ、アサリやハマグリなどの貝類、内陸では川魚やクルミなどのナッツ類、時に小動物まで骨ごといろいろなものを食べていたようです。特定の何かに偏らず、季節や土地の恵みをまんべんなく取り入れる。
また魚の燻製や干物を作る技術や果実を発酵させて果実酒を作る技術もありました。資源を無駄にせず保存するための知恵の結晶です。
これはまさに、東洋医学でいうところの「身土不二(しんどふじ)」、その土地・その季節のものを食べることが体に合っているという考え方に近いものがあります。
一人では生きられないはずの人が、生きていた
一番心を打たれるのはここです
縄文人の人骨の中には、驚くことに、歯が一本もない状態で60歳代まで生きていたとみられるもの(誰かが介護食を作ったり、食事を手伝ったりしなければ、まず生きられません)や、重い障害で自力では立てない状態で20歳近くまで生き延びていたとみられる人骨、それに骨折の治り方から、周囲の手厚い看護がうかがえるものが見つかっています。
一人では到底生きられないはずの人が、実際に長く生きていた。これは、縄文社会が弱った人・支えが必要な人を、共同体でちゃんと支え合う心豊かな「助け合い社会」を、築いていたことを静かに、でもはっきりと物語っています。
鍼灸の現場でよく感じることですが、体の不調は、その人ひとりの問題として現れるようでいて、実はその人を取り巻く人間関係や社会環境と、切り離せないものだったりします。縄文人が示してくれているのは、まさにそういう「個人の健康は、共同体、自然環境の関係性の中にある」という、養生の一番の土台なのかもしれません。
縄文の続きが、アフリカの村にあった
ペンキ画家のSHOGEN(ショーゲン)さんをご存じでしょうか。タンザニアのブンジュ村で絵を学ぶために暮らしていた経験を、著書『今日、誰のために生きる?』で紹介しています。
この本によれば、ブンジュ村では、お金や食べ物が余ったら、独り占めせずに他の誰かに分け与える。誰かが困っていれば、当たり前のように村全体で支える。そんな暮らしの中で、村人たちは驚くほど満ち足りた表情で日々を過ごしているのだそうです。
いつも忙しくしていたショーゲンさんに、村長がこのような言葉をかけたそうです。「呼吸に幸せを感じ、大地を踏みしめる一歩から愛を感じられるのに、何でお前は、空を見上げる余裕すらないのか?」。目標を達成したら幸せになれる、頑張った先に幸せがある――先のことばかりを考えてしまう私たちに対して、「幸せは、今この瞬間の中に、すでにあるものだ」と、村長は伝えたかったのかもしれません。
ブンジュ村には、他にもこんな「幸せのあり方」が伝わっています。
• 日常の挨拶は「今日、誰のために生きる?」「私は自分のために生きるよ」:
村では子どもの時から(自然そのものである)自分の全てを愛でることが大切にされています。生きるとは、幸せになること。自身の一番のファンになり自分を愛で満たしていれば、 言うこと、すること、すべてに愛が宿る。だから周りの人のためにも、自身をまず喜びで満たそうという精神がそのまま、村人たちの挨拶になっています。
• 生きることを”作業”にしない:
何をしたかや、過去やこれからやる事だけに価値をおく会話は、生きることを「作業」にしているということ。「今ここ」に心をおき、今を100%味わう。何を感じているのかという、心の会話がとても大事にされます。
• 効率を求めすぎない:
「効率よく生きたいなら、生まれてすぐ死ねばいい。人間は無駄を楽しむために生まれてきたんだ」。あと少しで仕事が終わりそうでも、15時半になれば仕事を終え、家族や仲間との時間を優先するそうです。
• 失敗を愛せる、人間らしさ:
誰かが失敗したとき、村の人々は「人間らしいね、かわいいね」と声をかけます。大人が失敗する姿を堂々と子どもに見せる、完璧を目指さないことで、子どもたちは安心して未来を描けるようになる、と信じられています。
• 愛が注がれたものからしか、愛は与えられない:
食事を作るとき、服を縫うとき、家を建てるとき、あらゆる行為に、どれだけ愛を込められたかを大切にし、道具や物にも感謝と敬意を持って接する文化があります。
呼吸や、足裏の感覚を味わい、自身の心と身体を大事にすることは、東洋医学の養生の考えと、深いところで響き合っている気がします。
縄文土器や、何トンもの石を積み上げたストーンサークル。創り出すものに愛情をかけ、美しく緻密なものを作り上げた背景には、ブンジュ村の人々が今も守り続けているような、心の豊かさがあったのかもしれません。
土の中から静かに語る縄文の遺跡と、今もアフリカで営まれている暮らし。時代も大陸も違うのに、同じことが伝わってきます。「幸せは、自身の喜びと、人や自然と調和する中にある」——これは、人間にとって普遍的なヒントなのかもしれません。
ケンカはあった。でも、”戦争”にはならなかった
ここで、正直な話をさせてください。
縄文時代に、争いが完全にゼロだったわけではありません。数は少ないものの、石の矢じりや斧が刺さった人骨も見つかっていて(狩猟中の事故という可能性もありますが、矢じりが至近距離から突き刺されている例もあり)、争いがあったことを示す例は存在しています。
でも、ここが本当にすごいところなんですが——争いがゼロではなかったのに、それが「戦争」という大きな仕組みに育たなかったんです。集落と集落がぶつかり合う戦い、支配や征服のための攻撃や防御のための頑丈な柵に囲まれた集落は、縄文時代にはほとんど見つかっていません。
人間同士のいざこざを、大きな支配や征服の仕組みに育てなかった。これは「争いがなかった」よりも、実はもっとすごいことだと思いませんか?人はぶつかることがあっても、それを大きな暴力にしない道を選べる、という証拠だからです。
長寿の秘訣は?
「世界四大文明」と呼ばれるメソポタミアやエジプトの都市文明が生まれたのは、だいたい5000〜6000年前(紀元前3500年前後)です。縄文は、実はそれよりずっと古いのです。
そしてここが一番強調したいところですが、多くの古代文明は、文明が成長すればするほど、自然を破壊し、社会格差を広げ、それが崩壊の引き金になる。数千年で衰退や崩壊を繰り返し、行き詰っています。
それに対して縄文人は、一貫して共生と調和の道を歩んできました。彼らは高度な技術を持ちながらも、自然を支配したり改変したりする大規模な農耕や都市化、格差社会、戦争の道をあえて選ばなかったのです。こうした選択のおかげで、彼らは約1万3000年もの長い期間、安定した社会を築き続けたのです。
縄文時代が終わってから今日まで約3000年。つまり弥生以降から現在の、なんと4倍以上の期間、縄文時代は続いたのです。気が遠くなるようなご長寿ぶり。縄文1万3000年を人生100年に例えるならば、今やっと23歳です(笑)
「人間は奪い合う生き物」に、そっと反論 縄文の別解
「人間は奪い合う生き物だ」「戦争はなくならない」「競争しないと発展しない」「発展すれば無理が来る」——そんな声を聞くことがあるかもしれません。でも縄文の人々は、高い技術を支配や征服のためではなく、暮らしを豊かにするために使っていました。はさみも技術も使いよう。
そしてこれは、心と体の健康にもつながる話だと思います。「命が危ういかもしれない」という極度の不安や怖れは、人の健康をも静かに蝕んでいきます。安心できる社会、自然や人と信頼し合える関係——それこそが、心と体を整える一番の土台なのではないでしょうか。
落とした財布が戻って来る国 クリスマスも、カレーも”和える”天才
落とした財布やカバンが戻ってくる。無人野菜販売が成立する。電車で寝ていられる。子どもだけで通学できる。日本に来た海外の観光客が驚いてSNSに投稿するあの現象。世界を見渡すと、日常にある安全と信頼は、実はとても貴重なことなのです。
日本は「和の国」とよく言われますが、この「和」の感覚は、宗教一つとってもよく表れています。
神社にお参りし、お寺で葬式をあげ、クリスマスを祝い、ハロウィンで仮装をする。本来はまったく別々のルーツを持つ信仰や行事なのに、日本ではどれも排除し合わず、暮らしの中に仲良く並んでいます。
これは宗教だけの話ではありません。食卓を見渡しても同じことが起きています。カレーはすっかり「日本の国民食」。ラーメンは日本各地で個性を持つ「ご当地ラーメン」に育ちました。ナポリタン、オムライス、とんかつ――どれも元は海外の料理ですが、日本の食卓に合う形に作り替えて、大切に定着させてきました。
主語をあまり言わない日本語にも、共感の精神が表れていると言われます。みんな違って、みんないい。違いを楽しみ、自分たちの暮らしに合う形に変え、和えてしまう特殊能力(笑)
もしかしたら、日本人の根底に流れる「信頼」と「調和」の精神も、縄文からの延長線上に、今なお息づいているものなのかもしれません。
1万年前のご先祖さまから、現代への手紙
1万年前の私たちのご先祖さまたちは静かに、こう伝えてくれていたのだと思います。
「争いも、格差も、自然破壊も、実は人間なら誰もが生まれつき背負っている運命」なんかじゃない。それは、いつでも上書きできる、選択肢のひとつ。」
戦後、ようやく80年を迎えた私たち。食べるものに困った時代をあっという間に乗り越え、今は大量の食糧を廃棄しています。物質的な豊かさと引き換えのように、急速に格差と対立が深まり、生物多様性は脅かされ、温暖化は進み、核廃棄物は行き場を失い、アレルギーや生活習慣病など身体の不調や、自ら命を絶つ人の数は増え続けています…。
今を生きる私たちは、後世に何を残すのでしょう。競争、格差を広げ、多くの古代文明がたどった道のりを地球規模で歩み続けるのか、それとも足るを知り共存し、共に喜ぶ道を歩むのか。
縄文時代と今とでは、人口など条件は異なりますが、縄文人の生き方は、私たちに未来へのヒントをそっと教えてくれています。争わず、支え合い豊かに生きる、共存の道は、”実証済み”だということです。1万年前の土から出てきたのは、希望の証拠でした。
今日、誰のために生きますか?
今の私たちは、縄文の人々が持っていなかったものをたくさん持っています。文字も、科学も、世界中の知恵に一瞬でアクセスできるつながりも。すべての経験を貴重な糧に、今日からどの道を歩むのか。私たち一人一人の選択次第なのです。
今日、誰のために生きますか?
肩の力を少し抜いて、深呼吸をひとつ。大地を踏みしめる足の裏から、まずは今日一日を、機嫌よく始めてみませんか。1万年前のご先祖さまたちも、きっと同じ空の下で、そうしていたはずですから。